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虚構侵蝕には共通する法則がある。
今では虚構侵蝕の常識として語られる22項目は、発見当初から観測者たちの心の支えになったとされている。ある観測者がアバ板に記録された体験談を整理し、共通の法則があると気づいたとき、「虚構侵蝕と観測者の関係が新たなステージに進んだ」と、もてはやされたのも当然のこと。この発見により観測者たちは、虚構侵蝕に対し、ようやく過剰に恐れを抱かなくてよくなったのである。
もちろん変幻自在の虚構侵蝕に例外はつきものだが、例外すらも、例外としてカテゴライズできるようになった現在の22項目の信頼はかなり高い。仮にも観測者を名乗るならば、この22項目は胸に留めておくべきだろう。
多くの虚構侵蝕が、実写映画をベースとしている。
かつては宗教がその役割を担っていたことを思い出せば、その理由は理解しやすいだろう。虚構侵蝕発生の重要な要件は、多くの人間が共通のイメージを抱けるかどうか、ということだ。
調査すれば対象が明確になり、登場人物や事象の把握が容易な実写映画は、人の集合無意識を統合させるのに利点が多かったのだろう。観測者の中には、実写映画であると分かっていたから、ストーリーの先読みができ、筋に沿って虚構核に辿り着けたと証言する者もいたようだ。もちろん、無名の映画にはその手が使えないと反論する者もいたようだが、それでも人の心を打った実写映画である以上はストーリーにも納得感が求められる。人の作ったものであり、読み解けるという意味では、有名も無名も関係ないというのが、この法則の主張だ。
虚構侵蝕のベースとなる映画作品は複数の場合もある。宇宙空間に浮かぶ巨大惑星破壊兵器の中に、人を呪い殺す幽霊が出現することもあるのだ。これを知っているのと知らないのとでは、対処が大きく変わる。まったく異なる虚構の存在を感知したら、複数の映画が混じり合っている可能性も疑ったほうがよいだろう。なお、虚構同士が反発し合うのか、同居できる虚構は多くても3~4つだと考えてよい。
虚構侵蝕が収束されぬまま一定の時が経過すると、その影響範囲内に新しい現実として定着する。
その範囲は非常に緩やかながら確実に広がり、世界全体に広がったとき、それが新しい現実となる。
これらの定着は、その虚構侵蝕を観測可能な観測者が1人でも残っていれば完全なものにはならないとされているが、観測者が虚構に飲み込まれた場合はこれに該当しない。
友人、家族、職場、常識、思い出……。観測者たちが虚構侵蝕と敵対する大きな動機―例えば、しがらみと呼ばれる現実への執着は、原則的に虚構世界の中には現れない。もともと存在しないか、無くなってしまったか、別のものに変わってしまったか。観測者が虚構に向かうからこそ反作用や重しとして動機が現実側に残されるのか、研究結果はまだ出ていないが、そうである事実は観測者を虚構の誘惑から守り、現実を取り戻す戦いに身を置かせる理由にもなっている。あくまで原則であり、過去にはしがらみを感じる相手が虚構世界に現れた例もあったようだが、そうした場合でも、観測者を現実に引き戻す動機としての出現だったらしい。
観測者は、現実でも虚構世界でも同一の存在である。
例えば、虚構侵蝕によって周囲の人間がすべて動物になった虚構世界だとしても、観測者だけは人間の姿のまま変わり映えしない。時間旅行や異次元旅行をベースとした虚構侵蝕であっても、過去の自分や未来の自分に会うことはないし、別の並行世界の自分と会うこともない。例外は“もうひとりの自分”というベースを題材としている特殊な虚構侵蝕くらいだろう。
虚構世界では、明らかに違う言語を使われようが、観測者の普段使っている言語に変換される。
ただし、コミュニケーションが取れないことが、虚構侵蝕の根幹にあるのなら、それは例外となる。
前述の言語と同様、文化の違いによる食事や挨拶などの作法も、観測者が普段使用している文化圏と同じになる。もちろん、例外の含まれる虚構侵蝕もあるが、それはその都度、確かめるしかないようだ。
虚構世界の環境が現実と多少違っても、観測者は影響を受けない。基本的に虚構侵蝕発生直後に観測者が即死する、活動不可能になるような虚構世界は存在しない、と言い換えてもよい。
虚構侵蝕の根源には、人類の願望や想像力が大きく関わっている。だからこそ、人類が活動できるスペースが存在しなくてはいけないのだ。
ただし、特定の場所でだけ人類が活動や生存ができて、それ以外の場所では活動や生存が難しいという虚構世界は存在する。だが、心配しなくていい。その場合でも虚構侵蝕は、人類が生存できる特定の場所をスタート地点とするようだ。
余談だが、科学的に考証するならば物理法則がほんのわずかに違うだけで、人間は生存どころか発生するのも不可能になる。しかし、たいていの映画作品では、この手の科学考証よりもエンターテインメント性が優先され、無視される。虚構世界においても、それは同様のようだ。
どの虚構世界においても、機器さえあればVER-THは現実世界と同様にアクセスできる。虚構世界のほうが、どこにいてもVER-THが使えるぶん、現実よりもアクセス性は高いかもしれない。
しかも虚構世界内では、現実世界にあるVER-THと(もしあればだが)虚構世界で作られたVER-THの両方に接続することも可能だ。
虚構世界のVER-THでは、その虚構世界の常識に基づいた書き込みがされており、その多くが虚構世界や虚構核にまつわる噂であるらしい。虚構核を見つけるうえで、VER-THへの検索はなくてはならない行動である。
もちろん、その虚構世界の事情や法則によってはアクセスできない場合がある。電波がない、ネットワークトラブル、サーバー施設の破壊、ウイルスなどが原因として考えられるだろう。
一方、虚構世界の中から、現実世界のVER-THに接続するときは、前述の通り、どのような状況下でもアクセスが可能だ。宇宙の果て、異次元、深海、古代、そのどこからでもアクセスできる。内容についても虚構世界に合わせて書き換わることがないため、現実世界のVER-THは、アンカー(虚構世界の影響を受けない存在)だと定義されている。
観測者が現実世界から持ち込んだ装備やアイテムは、基本的に異なる文化の虚構世界に暮らす人々が見ても、違和感を覚えない。また、どのような虚構世界でも、アイテムは想定通りの効果を発揮し、用途や効能が変わったりすることもないようだ。
ただし、これらの現象は、観測者とアイテムの絆に影響されるらしい。例えば、たまたま何かを拾った状態で虚構侵蝕に巻き込まれたときなどでは、虚構侵蝕の影響により手にしていたアイテムが別の文明のものに変わったり、消えたりすることがあるようだ。逆に誰かの形見など観測者とアイテムに強い絆がある場合は、虚構侵蝕はアイテムに影響を与えないようだ。
なお、電力や銃弾などの消耗品は、現実世界であれ虚構世界であれ、同じように消費される。使用した消耗品がそもそも虚構世界に存在しない場合には当然、補充することはできない。アイテムに関する十分な知識や技術があれば、代替品を生み出すことは可能かもしれないが。
観測者の所持しているアイテムに記録された情報は、虚構世界に準じた内容に変化する。物体としてなら維持は許されても、データだけは例外的に書き換わってしまうらしい(例え石板に文字を掘ったとしても、それが情報なら書き換わってしまうだろう)。
逆に、そのアイテム自体が観測者や虚構核だった場合は、現実世界の記録を保持したまま虚構世界にも存在する。変わっていないことが違和感になるわけだ。
虚構侵蝕が原因で変化した物体は、基本的に虚構が収束した後は、何もなかったように元の状態に戻る。ただし、虚構世界で観測者、あるいは虚構核が変化させた物体の増減、破損に関しては、虚構が収束しても現実に即したなんらかの形で実現してしまう(後述する「虚構の残滓」も参照すること)。
例えば、食べかけの食糧はそのままの状態で残るし、怪獣に踏みつぶされた車は現実では事故にあったことになる。入手した現金や宝石などは、宝くじやボーナス、プレゼントという形で同額の価値を得るだろう。
虚構世界での金銭授受が、現実に戻った後の観測者にも影響があることは、観測者のモチベーションになると同時に、犯罪の温床になる可能性がある。よって観測者には、互いに犯罪行為を戒め合うことが推奨されている。なお、人類の存続にかかわるような変化に関しては、人類全体が持つ修復力によって被害が軽減、もしくは“なかったこと"にされるようだ。
虚構世界で負ったダメージは物体の変化同様、虚構が収束した後も、現実に即した形で残る。
武士に刀で切りつけられた傷は包丁で負った傷になり、魔法の炎のダメージは料理中の火傷になるだろう。
行動や思考に支障をきたすような重大な後遺症が残る場合は、長い休息を必要とするかもしれない。
同様に、虚構世界での治療結果も現実に影響を残す。ただし、明らかに現実でありえないような効果は、現実に即する形に変更される。四肢の欠損を治療した場合は、現実では本来の手足と遜色ないレベルの超高性能義肢の試験者に選ばれるなどだ。
こうした治療の結果は、次に虚構侵蝕に巻き込まれたときには、(アイテムとの絆にもよるだろうが)その虚構世界に適した形で発現する。四肢の治療が可能な世界では生身の四肢があり、現実と変わらない世界では義肢になるだろう。
虚構世界でのダメージとも重なるところだが、虚構世界で死んだ観測者は、虚構が収束した後も生き返ることはない。
一方で観測者以外の人間は、虚構が発生する前の状況に準ずる。つまり虚構世界で死者が蘇ったとしても、現実では死者のままということだ。
ただし、例外的に観測者と強い絆を結んだ人間が、観測者と同じく、死から蘇らなかったというケースがあった。これが例外なのか、それとも物体と同じようなケースとして一般的に起こるのか、事例が少なくまだ解明されていない。
虚構世界において、観測者がもともと存在している「住人」として扱われるか、突然現れた「異邦人」として扱われるかは、虚構侵蝕のベースに大きく左右される。場合によっては戸籍がなかったり、人間関係が変わったり、観測者の社会的な立場や役職が変わっていたりすることもある。
前述した観測者の立ち位置にも関係することだが、観測者が「住人」として認識されている虚構世界ではまれに、虚構世界で今まで生きてきた記憶が突然蘇ることがある。
虚構侵蝕に巻き込まれた直後にすべてを思い出すこともあれば、徐々に思い出したり、何かのきっかけで思い出したりすることもあるようだ。もちろん、その記憶は虚構世界が作り出した捏造のはずである。
これはあくまでも虚構侵蝕に影響された特殊なケースであるため、一般的には「住人」と認識されているのに記憶がなく、周囲との齟齬で困ったという例のほうが多い。
観測者が現実世界から身に着けてきた衣服や装備は、アイテムと同様、基本的に異なる文化の虚構世界に暮らす人々が見ても、違和感を覚えさせない。こう書けば結果としては同じに見えるが、虚構侵蝕の内容次第で実情は大きく異なる。
外見が虚構世界の文化に適したものに変わっているから違和感がない場合もあれば、もともとの外見のまま認識として違和感を与えていない場合もある。外見の変化はケースバイケースと考えたほうがよい。
観測者が虚構世界で食事をする場合、世界によっては文化の違いから口に合わない料理が出てくる可能性がある。どんな世界でも栄養補給は重要だが、そうした料理が美味しく食べられるかどうかも虚構世界ごとに異なっている。観測者の味覚や認識に変化があるかどうかも、虚構世界次第である。
現実とそう変わらない虚構世界であれば、現実と同じような歴史を辿ってきたと考えてよい。
例えば、時代劇の虚構侵蝕に飲み込まれた観測者が、江戸時代の知識を披露した場合、多くの場合それは正しい。しかし、題材となった映画作品のために作られた歴史が史実の江戸時代とまったく同じである保証はないため、まったくの見当違いになる可能性も考慮しなければならない。
関連する余談だが、虚構世界で過ごした時間だけ、現実でも同じように時間が過ぎるか、あるいは発生直前に戻されるかは虚構侵蝕によって異なる。虚構世界で過ごす時間には、常に注意が必要だ。
虚構侵蝕には影響範囲がある。つまり、虚構世界には境界線があり、その外は本来の現実になっている。
この境界線の出入りに関しては、できる場合もあれば、できない場合もある。もし脱出が可能なら、いったん虚構侵蝕から物理的に撤退し、体勢を立て直す戦略も考えられるだろう。逆に境界線から、どうやっても脱出できない場合は、虚構世界にあえて踏み込み、虚構核を見つけて境界を壊さなければならない。
虚構侵蝕が発生してから一定の時間が過ぎると、虚構世界の一部が現実に定着し、境界内に新しい現実が生まれることがある。その影響範囲や深刻さは、虚構世界次第だが、我々の生きる現実にとっては重大な欠損だ。
過去の事例としては、虚構世界の一部を新しい現実にすることで虚構体だった友人を現実世界で生きられるようにした、特定の場所(虚構核だった古い神社など)に行くと元虚構体の神様に会えるようになった、虚構世界にしか存在していなかった新兵器や文明を現実に持ち込んだ、などが挙げられている。
これまで語られた基本法則にも例外はある。根拠となるアバ板の体験談にも「諸説あり」としてまとめ終わっているものがあり、ここまで紹介したすべての法則が適用されない虚構侵蝕が存在している可能性は捨てきれない。
例外の存在を、常に頭において置くことで、変幻自在な虚構侵蝕にもよりよく対処できるだろう。